Buho No.212 目次

大学を離れる皆さんからTSGerへ

コンパ委・ぶほ編集部


あの『忘れえぬ日々』

須磨洋祐(油すまし)さん,
光田幸司(みつだ)さん,
是津達也(Zet.)さん,
原田昌紀(はらだ)さん,
松浦健一郎(Makken)さん,
西本圭輔(Face)さん,
吉田泰博(UMB)さん
(順不同)

本年度,卒業・修了などで大学を離れられるTSGerは,以上7名のようです。 1 これらの方々は,「追い出し」行事が終わったのちも, TSGと一切無関係な人になってしまうとは限りません。 しかし,基本的にTSG部員名簿には掲載されなくなるなど, 名実ともに「OB」という形で, 現役TSGerたちの活動を見守っていただく形になります。

ぶほ編集部では,恒例企画として,「追い出される」皆さんに, 大学サークルとしてのTSGから離れるにあたっての感慨などをうかがいました。

須磨洋祐さん(1991年度入学)

この度修士課程修了という形で追い出されることができました、 4月からもあいかわらず自営ソフト屋、(有)アンブレラ非常勤、 駿台時間講師という浮き草な生活を送ります。

油とTSGとの最初の出会いは、 サークルオリでったくさんたちが 数式処理プログラムを出展していて、+++ と入力して、 2*+ という不可解な出力がでて先輩方が爆笑していたのが 記憶にあります。

駒場祭では迷路を作るのと脱出するのを同時に行なうという 対戦型迷路を出展して、一部の人に好評でした。

油すましというハンドルを使いはじめたのは、 いまはなきいぬ。BBSからです。 それまでは水無川智史(みながわさとし)というハンドルをつかっていて、 いまではrimのログイン名に名残をのこしています。

後輩に望むことは特になく、TSGの活動も、 TSGの名前を使うのも駒場生で決めてくれればいいと思っていますが、 OBの力はばんばん借りていいと思います。

でもあえて一OBとしての希望を述べるならば、 あと何年かは夏合宿行くつもりなので、

白子はやめてほしい

です。あとしばらくはコンパにも行くつもりなので、 シェーキーズと魚や一丁はやめてください。

光田幸司さん(1991年度入学)

久しぶりです。光田です。

4月からSCEI(プレステ作っている所です)の方で ゲームプログラマとして働きます。

TSGに入ったのは、7年前ですから結構昔になりました。 最初のコンパに行った時は、誰が誰だか全然解らなかったですけど、 結局7年間ずっと解らないままですね。 全体を把握する人間がいない状態でこのグループは動いているんだなぁ、と。

大学に入った時には、N-BASICの知識しかなかったので、 部室を行き交う言葉に全然ついていけませんでした。 その頃は、ポケコンの共同購入があって、 そのポケコン用にグラディウスなシューティングをつくる分科会に入っていました。 ポケコンの怪しげなVRAM構造に驚いた覚えがあります。

2年生の時には、 386な98でグラディウスIIなシューティングを作るんだと頑張っていました。 しかし、普通の人はゲーム機だろうが98だろうが同じ土俵で判断するので、 あまり報われないなぁとも思いました。

私は留年していたので、 その時にはMakken氏に触発されて ボクセルレンダリングで地形を表示するプログラムを書いていました。 286な98で486なTOWNSに勝つんだと高速化に励んでいました。 結構愉快でした。 この時使った高速化手法は、現在のキャッシュ全盛のCPUでは使えないです。 けど、このボクセルレンダリングの考え方は、 ちょっと前の修論の時にばりばりに使いました。得した気分です。

本郷にいってからは、いぬにいったりitalkに顔をだす程度ですね。

TSGでは、いろいろ友人にも出会えたし、 愉快な経験もさせてもらいました。どうもありがとう。

是津達也さん(1992年度入学)

ご無沙汰しております、Zet.です。 TSGで色々な凄い人と会えたことは貴重な体験でした。 これから先もTSGの方々が作ったソフトウェアにお世話になると思いますので よろしくお願いします。

西本圭輔さん(1993年度入学)

駒場時代は、ほとんどみつださんやUMBと marru(ようするにぷよみたいなもの) 2 にはまりまくっていたという記憶しかない (Zephyrが「Mr.Do!」だと思って買ってきた基板が実は 「Mr.Du!」だったとかいう話も鮮明に覚えているが)。

本郷に進学してからは、根津研会計という役職につき、根津研に常駐する。 根津研生活中にプライムゴール2がうまくなる。 UMB相手にオーバーヘッドループシュートを決めたあの瞬間は まだ昨日のことのように思える (ほぼ2年間UMBとプライムゴール2をやってきたが、 オーバーヘッドループシュートが決まったのはその一度だけ)。

根津研がなくなってからの1年間は、とくにTSGとは関わらず、 ひたすら情報科学科の単位を揃えていた、 といいたいところだが、実際はUMBとまんだらけに行ったり、 自宅でプライムゴール2の研究をしたりして、結構ダメな生活をしていた。 根津研の備品だったスーファミをおにづもさんから2000円で買ってしまったのも、 今思えば間違いだったのかも知れない。

とりあえず、2月24日現在、まだ卒業に必要な単位が揃っていないので、 追いコンの時はそろっているようにします。 さて、もうひと頑張りするか。

松浦健一郎さん(1992年度入学)

Makkenこと松浦です。

今でもTSGに入ったのがまるで昨日のように感じられるのですが、 早いもので、このたび修士課程を卒業して就職することになりました。 就職先はNECで、配属先は希望通りに行けば中央研究所 (田園都市線宮崎台駅)になるかと思います。 仕事は並列コンパイラ関連の研究になる予定です。

TSGでの活動を通して、大学時代を楽しく濃く中身がであって趣味がではないですよ) 過ごせました。素晴らしい先輩や仲間に恵まれました。

嫁さんもゲットしました。

いやはや、本当に僕の人生を変えるほどの 強烈なパワーを秘めたサークルでありました。 さすがに入部時に嫁さんは予想していなかったが(笑)。

なおこの原稿を書いているのは真夜中ちゅーか明け方です。 ハイです。 昨日まで引っ越しであっしが圧死ーって感じでした。 さっき遅れに遅れてたCマガの原稿をやっと仕上げて、 ほっと一息かと思いきや、 どうやら部報の締切も破っていたようなので 急いで書き始めた次第です。 編集長さんごめんね。 3 ちなみに隣りの部屋からは、 ゲットした奥さんの寝息と寝言が聞こえます。

そもそも僕は

UTMCに入るつもりで

東大に入ったのですが --- というのは、 中学生のとき読んだイカす6809マシン語の本を書いたのが 昔のUTMCの方だったからなのですが。 その著者の方とは研究室でのソースコード読み会(爆)にて偶然お会いして、 「ぎゃー、そんな昔に書いた恥ずかしい本を見せないでー」との悲鳴を (でもちょっと喜んでらしたかも)頂きました--- サークル紹介で実際に見に行ってみたら その年のUTMCはぜんぜん元気が無かったんで、 6年くらい抱いてきた希望を3秒ぐらいで切り捨てまして、 とりあえずもう1つコンピュータサークルがあるようだから見に行こうかな、 ってんでTSGに来たんです。

あの年はなかなかパワフリャでしたね、TSGは。 当時の僕はとにかくコーディングテクニック、 それも主にグラフィック周りのコーディング技術に興味が集中してたんで --- グラフィックがスキなのは昔からですが、 3月にTOWNS買ったばっかりだったのも影響してます --- 、 ちょいとこのサークルのパワーを見てやろうってんで覗いてみたら、 これが凄くてねー。 TEAさんこと定兼さんの「亀虎」がメインの年でした。 亀虎ってのはキャメルトライに近いゲームでして、 画面を豪快に回転させて玉をゴールに導くとゆーものです。 凄いのは(確かPC-286VEあたりだったと思うのですが) 286の12MHz、しかも98のクセのあるグラフィック機能を以て、 とっても高速な回転処理(&拡大・縮小処理)をやってのけてることでした。 それからTOWNSではR. KuMaさんこと 大熊さんがポリゴンで3Dグラフィックスをやってました。 こちらは電波新聞社のカブトガニ(アナログパッドです)を使って 正20面体をぐるぐる回せるっていうデモだったと記憶してます。 ということで、さんざん長居して遊んで、さくっと入部しちゃいました。

僕は家が遠いせいもあって 始めの頃はあんまり部室に出入りしてなかったんですが、 駒祭の頃から講義もほどほどにして部室に入り浸るようになりました。 個人的な見解ですが、

講義はヤル気が無くても出ることはできるが、
開発は本当にヤル気がないと進まない

と信じてましたので(笑)。 この頃はKuMaさんまつーちこと 同輩の松内氏とともに毎日のようにTOWNSと格闘してました。 で、駒祭には、3D平面のマップ上を3Dモデリング&レンダリングした車が失踪 --- 3Dゲームって開発中は座標計算を間違えて キャラクタをロストすることが多いですが --- 疾走するというゲームです。 簡単に言えばF-ZEROみたいなやつですね。 おくさまこと奥先輩に描いて頂いたコースは

鈴鹿!

日本の心っす。

やー、この時期はすごかったです。 KuMaさんはポリゴンエディタ (後に「ごりぽんくん」としてOh! FMTOWNS誌で発表)を作るわ、 まつーちはグラフィックエディタ (後に「ARTemis」としてOh! FMTOWNS誌で発表)作るわで、 熱かったです。 僕は主にRoll3Dとゆー3D平面をぐるぐるするルーチンを作って、 TEAさんや、ったく☆さんこと中村さんに 色々教わって、マシン語&C言語のスキルがめきめき上がっていきました。 なにしろそれまでDOSさえろくに触ったことが無かったので。

駒祭の後、KuMaさんにOh! FMTOWNS編集部に 連れていって頂いて、ライター稼業が始まりました。 といっても最初の記事を書くまでに半年くらいありますけど。 EASTさんこと東さんや、 Malorさんこと山本さんには、 プログラムの面でも原稿の面でも本当にお世話になりました。

次の年の駒祭は何か作ろうというのは早くから決めていたんですが、 何を作ろうかというのはぎりぎりになって決めました。 で、作ったのは「Bird's Eye」とゆー リアルタイムボクセルレンダリングで地形を描いて その上をふわふわ飛ぶってゆーインタラクティブデモ --- 駒祭期間中にゲームに昇華するまでには至らなかった --- です。 当時AT互換機用に「Commanche---Maximum Overkill---」というソフトがありまして、 こいつのレンダリングには部内でも僕を含めて魅せられた人が多かったんで、 じゃーいっちょあっしが作ってやろーってんで作りました。

こいつはちょいと派手でキレイなんで その年のTOWNS展示は非常ーに熱かったんですが、 98も熱かったですねー。 とゆーかみつださんこと光田さんが熱かったんすね。

僕がBird's Eyeを作った

Kumaさんがみつださんを「やーい、98じゃ無理でしょ」と挑発

「くそー、絶対やってやる」と燃えるみつださん

98版完成(普通、できるかー?(笑))

駒祭前ほんの2,3週間くらいでほんとに出来上がるあたり、 TSGの奥が深いちゅーか 単にみつださんが凄いちゅーかですが(笑)、 ともかくこのあたりがたまらなく楽しいサークルなのでありました。

学部3年のときの駒祭ではOh! FMTOWNS誌でも発表した 「Sky Duel」とゆーゲームを展示しました。 これはBird's Eyeのルーチンを応用したアクションゲームで、 まがりくねった峡谷の間を飛行機で駆け抜けるっちゅー 爽快な3Dフライトゲームです。 やはりちゃんとゲームになってたし、受けが良かったです。 TOWNSあれば動くから一度は遊んでみてね。

このときは駒祭よりちょっと前の9月に おーたうの方の締切りがあったんで、 駒祭直前はぜんぜんばたばたしなかったです。 やっぱり、駒祭直前になってからゲームを作り始めると駒祭当日に

プログラマを展示

するハメになるんで、早めに完成させとくといーです。 当日は遊びに来た女の子に積極的にサービスしましょう。 貴重な機会なんですから(冗談よ)。 もちろん男性の方にもサービスね。

学部4年のときはもー展示せんでもいいかなーと当初は思っていたんですが、 たまたま直前にわりといいテクスチャマッピングのルーチンが出来てしまったんで、 何か展示しようかなってんで「Marionette」を作りました。 Marionetteってのは汎用人型決戦兵器です。 人造人間です。 駒祭展示版は初號機でした。 建造は極秘裏に行われました。 シンクロ率が高くないと動きません。ときどき

暴走

します。

Marionetteは関節がある3Dモデルのモーションエディタです。 油さんこと須磨さんにデジカメをお借りして、 サークルの人々の顔をぱしゃぱしゃと撮影しました。 で、それをテクスチャにして3Dの人型モデルに貼り付けて、 3Dのフィールドを走らせました。 昼夜問わず駒祭期間中ずーっと走らせていました。 ずーっと見ていてくれるお客さんもいらして、受けが良くて満足でした。 やはり自作を展示してこそ駒祭でしょう。

部報に載せたMarionetteの紹介原稿は 当時本放映中でむちゃくちゃ熱かった某EVAの パロディ仕立てにしました。 その上、 夜にはEVAの福音を世に知らしめるべくビデオ上映会を開催してしまいました。 これがために人生が変わった人がいたらごめんなさいねー。 ちなみに嫁さんはあっしが オタク色むんむんのEVA上映会の首謀者だとは気づかずに 付き合ってしまい、 後に気づいた頃にはもう戻れない状況だったそうです。 その上、EVAテレビ放映全部+春の映画2回+夏の映画2回、

きっちり見せました。合掌。

ちなみにリツコさんがいいらしいです。僕はレイだな。

修士のときは何にも展示してないです。 研究が忙しくて。 ……てゆっか、すいません、

嫁さんと遊んでました(爆)


TSGを出るっていう実感はあんまり無くって、 コンパとか駒祭にちょくちょくと遊びに来ようかと思ってます。

いやはや、ほんとにはっぴーーーーーーーーでした。 色々な方々にお会いできて(新鮮な刺激を与えてくれた後輩の方々ももちろんね)、 素晴らしい経験をさせていただいて、 ほんとにほんとに感謝の気持ちでいっぱいです。

さんきう!


1) 実はこれを調査するのがなかなかの苦労で,コンパ委員ともどもたいそう頭を悩ませたものです。
2) 編註 実は編集長も高校時代、marruにはまっていました。88VAで動作していたような……(笑)。
3) 編註 お忙しいところ無理を言ってごめんなさいでした。

今野 俊一 (こんの, knn) <toknn@ijk.com>, <knn@ebony.plala.or.jp>
東京大学 工学部 計数工学科(内定), TSG(理論科学グループ)