TSG部長を退役して、のんびりしようとしら、小島さんから「なおくんお願いね」 ってこれだもの。旅行の経験がほとんどない僕は???な状態がしばらく続いて 朝ご飯がない、夕ご飯もないって気づいたが時既に遅し。
とにかく集合さえしっかりできればあとはバスが運んでくれると思い、バス発車が
10時半だというのに集合時刻を8時半にして布告。
伝統あるTSG時刻というのはいつの頃からか忘れされていたようでした。
みんなには8時半に集合開始、9時に集合完了とちゃんと伝えておいたにもかかわらず
8時半に80%集合完了してしましました。僕は8時20分におりこうに到着したのに
なんとあの寺川さんが既に待っていられたのには驚きました。
集合場所には参加しないはずの経澤さんがおられました。「○キ○モ」の行くえを
尋ねに寺川さんをおっかけてきただけのようでした。
安田君が8時45分くらいに「やあ」と来たけれど実は彼がビリ。この衝撃の事実に
彼しばらく驚嘆。時代はかわったのだよ。
駅の前は寒いので、とことこバス発着所にのんびり移動したら5分とただずして
到着。しかしなにもなかった。遠くに明かりが見えた。それをたよると、旅行会社の
受け付け本部の設営であった。受け付けの人曰く、あと1時間程おまちください。
寒いよ寒いよ寒いよ〜〜。高架の柱の影に立つが、風が心を尽き抜けるように
通り抜けていった。こんなところで1時間もなにしているだあ〜。時間設定間違えた
かなあ。みんな来るのが早すぎるよ。「渋谷いこ渋谷」寺川さん曰く。
ぺちゃくちゃ話で楽しむ間に、にわかに他の団体がどどっと集まってきました。
僕はちゃっかり受け付けの前にぽつんと立っていたので、受け付け開始1番に手続き
完了。クーポン券をたくさんもらうが何これ? 竹村さんが今年も参加されたので
チェックしてもらいました。ありがたや。
指定された場所でバスの乗車を待つが、あまりにも手続き処理が1番乗りだったため 、またも寒いところに長々と待たさる。経澤さんが「まだ〜〜〜」と義理がたく見送り 完遂するのを待たれていまいしたが力尽きて帰られました。バスに乗ったのはそれから まだまだあとのことでした。
バスは7、8団体の40名くらいの相乗りでしたが、TSGが一番大きく バスの後ろよりに位置していたため、バスの中は至って静かなものでした。
どうゆう経路を通ったのかわかりませんが、大岩君と崎山さんは随時現在位置を
チェックされていました。なんちゅう趣味や。僕は眠ろうとウォークマンを
聞こうとしたのですが、音が聞こえない。コネクタが壊れていたのでした。
眠れないよ〜。狭いよ〜。周りは眠っているよ〜。なのにパークエリアにつくと
みんながばっと起きて買い出しに出かけて、それでいて帰るとまたすぐすやすや
ねむってしまうは理解できない。
眠れないまま。とうとう着いてしまいました。ふらふらだよ〜。駒場祭で僕が
一度も徹夜しなかったのは、一度でも徹夜すると次の日が動けなくなるから。
それなのに今日はスキーですよ。大丈夫なのかしら。
宿は在りかはリフト乗り場のすぐ側と聞いていたので、ずっとむこうにリストが 見えたのでそっちに向かってとことこ歩いていきました。荷物の重さが応える。
宿に着いたが、部屋はありませんでした。地下の広間に荷物だけは置かせて くれるとのこと。幹事の僕は頭がふらふらしていたので変な質問でもしたのだろうか。 受け付けのお兄さんにけげんな顔で見られました。いかん。東大生ってことは知られて いないよね。恥。
朝食がめちゃくちゃたかい。焼きそば600円。
さて、スキー板とウェアを借りようかと、貸し出しの部屋にいったら、すでに団体が ならんでいました。その後ろに我々がならんだのだが、券をもっている僕がちょっと用 で部屋をでたら、別の人達に割り込まれてしまいました。女性たちの団体だったからか マスターの性格もあってか、割り込んだ団体が先に受け付けられてしまいました。 これで10分のロス。
いきなりトラブル続きの1日目の朝ですが、9時半ころにはみんなリフトの下に 集まれました。
崎山さんと大岩君がなにやらつるんでたくらんでいる様子。気をつけないと。 1年ぶりのスキーだったので先ずは徐行してプルークボーゲンして勘をとりもどし ていきました。うしろから崎山さんがいろいろ言うけれど今僕忙しいの。
我々の宿から直接行けるコースで初級コースは実は本の数百メートルしかない様子。 コースが変で、ちょっとでもさらに登ると、もとの所に帰ってこれないという作りだっ たのです。
今年はスキー初心者がいなかったというのが良かったかもしれない。去年は僕は 初めてで板がなかなかはまらなくって、はまると板が雪にはまってうごけなくなる ような状態で竹村さんに非常にいろいろ御指導してもらったのです。なんどもなんども ころんで痛くて泣きそうだった所に吉田UMBさんに「辛いこともあるさ」と慰められ るほどの惨めな思いをしたものです。今年はコースが難しかったから初心者がいたら 助からなかっただろう。
崎山さんと大岩君の主導で我々は、ついに山のてっぺんにまで連れられてしまい ました。ここから下りる道は中級者コース。帰れないよ〜とわめく僕にリフトで 下りれるとの助言。まあなんとか2、3回転んだ程度で無事下まで下りられました。 これで少しは上達したかしら?
今年のスキー合宿での目標はパラレルターンができるようになることでした。 そのため、まずは緩斜面を斜行プルークでてれてれ滑る練習をし、それから山スキー 板の力を抜けるようにして、斜行中はパラレルになるようにしました。安田君の 助言でターンの前半には力を抜くことを覚えました。するとターン前半までパラレル が保たれるのでスキーが変わりました。でもターン後半はボーゲンにならないと ひっくりかえってしまいました。
1日目も日が暮れ始め、さっさと宿に帰りました。
やっと部屋のキーが渡されて、荷物を地下室から3階の部屋に運ぼうとするが、
激しい筋肉痛。う〜。老けたのう。部屋は12人で10畳が2部屋でした。意外と
広かったですね。これでドラえもんにならずにすむ。
夕食を食べて、風呂も済ませると、疲れと昨晩眠っていなかったためにとで、
崎山さんの演説をこもり歌のように聞きながら座布団の上で、眠ってしまいました。
他の人もみんなそれぞれ椅子の上だの畳の上だのぐったりしていましたね。
毎年ここでは駄菓子を買って、飲み食いしながらいろいろ語りあっていたのですが、
今年はその気力はまったくありませんでした。昨年は某氏がまったくもうってくらいに
壊れていて、まとわりつかれて大変でしたというのに。
しばらくして起きて、時計をみると8時。もう夜も更けた。良い子はねましょう。
人が集まっていないほうの部屋に布団を展開しようとするが、多賀君と大岩君が既に
ねている。変な位置に布団をしくもんだからうまく展開できないじゃない。お部屋の
フォーマット、不良セクタ発見、ポイ捨て除去。最適化、最適化、わっせ、わっせ。
どうにか部屋に6つの布団をしきました。さっそく隅の布団に潜って、それからの
記憶はなし。
朝になって、隣に寝ていた安田君が言うには、僕は激しく瞬間的にごろっと何度も
移動したのでびっくりしたということでした。多賀君が崎山さんになにかされたそう
ですね。僕はなーにも知りません。そういえば今年は某氏の他に、夜の2名の協奏曲
もなかったので本当に静かな夜でしたね。
2日目は、崎山さんの提案で昨日とは別のコースにいくことになりました。 バスで15分くらいでしたか。いきなりジャイアントとかいうとんでもない急斜面 でした。ここには下りリフトがあったので、僕は迷わずそれにのりました。
みんなで上の方にまで行って、トレインになって下までおり、それからは各自
好きずきでばらばらに滑りました。
僕は一人でまたのんびりパラレルの練習にいそしんでいました。片足だけで
斜行できるようになり、だいぶスキーが軽くなりました。斜面の幅が狭くて
ちょっと練習には向いていませんでした。
午後はまた別なところを金子君と高野君とで滑ったのですが、滑れるように
なり始めた高野君がよろこんで先を突っぱしって道を間違えてはぐれたことも
ありました。
僕のパラレルはこのころになると大体ターンのときでもパラレルのまま曲がれる
ようになりました。また斜滑降のときの2つの板で雪を削るようにすべるときの
ガリガリという音が、なかなかうれしかったです。
バスの関係上早めに引き上げなければならなかったのが残念でした。もっと すべりたかったのですが、でも次の一日があっても多分、筋肉痛で滑れなかった ことでしょう。
宿に無事帰り着き急いで帰り支度をすませて我々は志賀をさりました。 志賀はさったものの、どうもバスの動きが妙。北に向かっているぞ。どうやら いろいろなスキー場からの帰り客を乗せていくようです。
新宿東口バスターミナルに到着したのは朝(深夜)4時30分でした。
簡単に挨拶をすませて我々は解散しました。
新宿ってこんな時間でも明るくってうるさいのですね。西武新宿線はまだ始まって
いませんでした。駅の入り口がシャッターで閉まっているのでした。こんなのを見る
のは初めてでした。15分程まってようやくシャッターが開き、各駅停車本川越行き
にのりました。ここからわが街まで24駅です。いつのまにか眠っていたようでした。
帰りのバスでもやはり眠れずにいたので、ゆったりした電車の中で安心したので
しょう。20駅をいつのまにか通り越していました。
わが街の駅をおりてもまだ真っ暗でした。田舎なので本当に真っ暗で足元が見え
なくて怖いです。そらにはキラキラ夏の大三角形がみえました。もう夏が近いの
ですね。
空を見上げながら足をつまづきながら僕は自宅に着き、なぜか既に敷いてあった
布団にもぐりこんでぐっすり眠ったのでした。
今年も楽しいスキー合宿だったではないですか。2日間しか滑れなかったのが 残念かな。来年は3日間にしよう。それからスキーのうまい人はカメラを持ってくる ように。ビデオカメラでもいいですね。滑りながらでも撮れるでしょ。合宿の思い出 が一人一人の心の中にしか残らないのが残念だから。
最後に今回のスキー合宿に参加された勇志たちを紹介します。
1年生 | 金子 済 高野 直樹 大岩 寛 木原 英夫 |
---|---|
2年生 | 渡辺 尚貴 安田 知弘 西沢 信行 多賀奈由太 |
3年生 | 寺川 愛印 竹村 太郎 |
M1年生 | 崎山 伸夫 三瓶 均 |
来年も楽しいスキー合宿にしましょう。
とりあえず帰りのバスで「部報に載せる」と宣言してしまいましたので…。 さすがにうっとおしいので字も小さくしてみました。(笑)
読む気のある暇な方、道路地図をご用意ください。
ではスタート。
とりあえず熊の湯を出発。 しかし行きは8時間で着いたのに帰りの旅程はなんと9時間半もある。なんじゃこりゃ?
熊の湯 −5k R292→ 蓮池 −16k R292→ 夜間瀬
ここまでは普通のルートですねぇ。でもなぜかチェーンを脱がない。ここで 変だとおもうべきだった。
夜間瀬 −4k R403→ 分岐点 −4k→ 北志賀竜王スキー場
なんと、夜間瀬からバスは逆に曲がり、山をめざして一直線。がーん。
チェーンを付けたまま細い山道をぬけてきたら、北志賀に着いてしまった。 すごい遠回り。北志賀って完全に尾根筋一本違うんだけどなぁ。
北志賀竜王スキー場 −9k→ 北志賀小丸山スキー場 −9k R403→ 夜間瀬
やっと本道に戻った。いくら安いスキーバスだからって2時間も山道をチェーンを履いて がたがたと走られたんじゃねぇ。疲れた。
夜間瀬 −R292,R117→ 浅野 −R18アップルライン→ 上信ドライブイン
志賀スキーといえばこのドライブイン。チェーンがたがたの腰の疲れをいやして、 またバスへ。次の興味はどこで高速へ乗るか。幸い最近は長野まで長野自動車道や 上信越自動車道が通っているのですが…。
上信ドライブイン −R18→ 長野 −R18バイパス→ 更埴 −R18→ 上田-西 −R18上田バイパス→ 上田-東
うぅむ。普通の地図帳でもはっきりとわかるような距離を延々バスは国道を 走ります。そろそろみんな寝るころです。が、私は昔から車の中では寝られない のです(T_T)。ところでこの辺、本道は上田市内を突っ切っているので 避けてバイパスを走るのですが、このバイパス、困ったことに上田の東側で とぎれていて国道18号に戻れないのです (^^; 普通はここで バイパス同様に整備された県道を走って早めに右折して国道に戻るのですが…。
上田-東 −県道→ バイパス終点 −市道・町道→ 交差点 −県道→ 交差点 −R18→ 軽井沢ドライブイン
曲がらない。どんどん道も細くなってくる。どこ行く気だ? 結局混雑を避けたのか名もない道を10k近く直進してました。 もう一台のスキーバス以外に車はいなかった。 TSGer 達の「帰りは釜飯を食うぞ*2」の 願い空しく、バスは軽井沢手前で2度目の休憩。横川の釜飯にはとうとう ありつけませんでしたとさ。折角通過したのに。
軽井沢ドライブイン −R18→ 中軽井沢-西 −碓井バイパス→ 横川 −R18→ 高崎
夜の碓井峠を抜け、バスはいつまでも一般道をひたはしります。 とうとうこのまま東京まで一般道かと思いました。 どうせ高速乗るならもっと楽に碓井峠越せるのにねぇ。
高崎 −R17→ 藤岡IC −上信越道→ 藤岡JCT −関越道→ 嵐山PA
バスはパーキングエリアに着いたのですが、運転手も添乗員も だまったまま。どうやら時間調整みたい。30分くらいしてから、 おもむろに電灯付けて「はい、ここで15分の休憩にします」だって。 まさか寝ずに一部始終を見てる人がいるとは思っていないだろうなぁ(^^;。
嵐山PA −関越道→ 練馬IC −目白通り→ 新井薬師付近 −細い一方通行→ 交差点 −早稲田通り→ 小滝橋
すごい細い道を抜けてましたけど毎晩あんなところ バスに通られたら周辺住民は迷惑なことでしょう。
小滝橋 −小滝橋通り→ 新宿駅南口
なお氏の報告通り 4:30 に新宿到着。お疲れ様。(読み切った奇特な方もお疲れ様です。)
さて実際食べ始めてみると、目の前に山のようにそびえるケーキにびびりながらも、 序盤は案外食が進み、2・3個程度は楽に入りました。しかし5個目を過ぎたあたりからは 、食べても食べてもなかなかなくならないケーキを見るにつれ、次第にケーキが喉を通 りづらくなり、後からきた人のケーキの追加やK_O_さんのタッパーいっぱいの自家製ゼ リーなどによる精神的ショックも手伝って遂に限界を迎え、7個目を片づけたところから は記憶の糸がぷっつりと切れています(嘘)。
そのあとも今西さんのミントゼリーが飛び出したりしたようですが、結局持ち寄った ケーキもすべてなくなり、平穏無事に終わりを迎えたようです。ちなみに僕は7個という 平凡な成績に終わりました。もうちょっと食べられるかと思ったのですが…
根津研というのは略称で、正式には「根津中央研究所」といいます。ここには 98MATE(Ap2)とATマシンがあります。MOドライブ、CD−ROMもついています。 マシンのスペック、環境などの詳しい説明は省略します。そして、ゲーム機はプレイ ステーションにセガサターン、スーファミにメガドラにネオジオと、一通りそろって います。ビデオデッキもあります。でもここまでは、あまり305と変わりありません ね。
根津研が305と一番違うのは、根津研というのはアパートの部屋であるという 事です。従って、便所は当然として、流し台に冷蔵庫、ガスコンロに炊飯器といった 生活に必要なものも揃っています。305では冬は寒い中下からの冷たい風をこらえて 椅子に座り、夏は驚異的に暑苦しい中ぎゅうぎゅう詰めにならざるを得ないわけですが 、 根津研では、冬はホットカーペットとこたつで夏は冷房、と空調も完璧です。さらに、 根津研には布団や毛布も用意してあるので、徹ぷよ徹アニメ徹サッカーといった ゴージャスなミッドナイトをエンジョイすることも出来ます。
漫画が好きな人もそうでない人も、最初に根津研に来たら、その莫大な量の漫画に 驚くことでしょう。何冊位あるのかは、私にも想像がつきません。とにかく、本棚の 置けるところにはすべて本棚が置いてあるという感じです。これはもう言葉では表せま せん。是非とも一度、見に来てください。
根津研の会員になるには、TSGのメンバーである皆さんは、
「年35,000円の会費を根津研に払う。」
これだけで、根津研の鍵がもらえて、晴れて根津研の会員になれます。いきなり 年35,000円払えと言われるとびっくりするかも知れませんが、
ということを考えれば、1年で35,000円というのはそれほど大変ではない はずです。バイトを探すのが面倒で、夏休みが暇で、女の子の知り合いが欲しいという 方がいましたら、日給5,000円ではありますが、結構楽しいバイトがあるので、 相談に応じます。
とりあえずは2年生は
「年10,000円払えば鍵はもらえる。」
ということにします。ただ、今後の健全な根津研の運営を考えると、最終的には (年度の終わりまでには)35,000円を払っていただけると嬉しいです。 また、この金額は1年間で必要な運営経費を人数で割ったものです。従って、 学科の3年生をTSGに勧誘して根津研の会員になってもらえば、それだけ一人 当たりの負担は軽くなります。どんどん根津研を宣伝しましょう。
実は、去年の今ごろは、「根津研がなくなる」という危機に直面していました。本来 根津研とは、3年になって進学先がバラバラになってもコミュニケーションを図れる 場所がほしいという発想から生まれた物でした。しかしここ2年間で、いぬ。BBSの 普及や進学先がかたよるといった出来事が起こり、根津研の会員が激減しました。 そして根津研の存在価値が問われ、本当にあと一歩で根津研が壊滅するところまで 話が具体化していました。結局うちの学年の強い要請とOB・OGの方々の援助により 、 ’95年度も根津研が存在することができました。
しかし、相変わらず根津研の運営は円滑とはいえません。根津研は1学年あいだが 空いてしまうと、最低2年間、特にTSGの場合院への進学率が高いので、4年間は その影響を受けることになります。というわけで、そういったピンチの状態にも関わら ず 存続の道を選んだ我々3年生は2年生、そして1年生の人達にもっと積極的に根津研に 接して欲しいと願っています。
2年生の皆さんは、まぁまずは大量のこぼれた酒を吸ったあの緑色の絨毯*1 に腹ばいに なって漫画を読んで、ゲームをしてください。そのうち、ものがごちゃごちゃ置いてあ る 狭いアパートが、生活に欠かせない重要な空間と思えることでしょう。根津研は本当に いいところです。みなさん、はやく根津研になじんで、根津研を好きになりましょう。
駒場生が根津研に行く場合は、電話をかけてみて誰かが出たら、これから行くと いうことを伝えておきましょう。行ってみて誰もいなくて鍵がかかっているというのは つまらないですから。誰もでなかったら残念だけど諦めるしかないですね。
まず、フォントをコントロールシーケンスに割り当てます。 なら、 tfm ファイル名は ccr10.tfm ですので、例えば
\font\tenccr=ccr10
とします。これで、文書中で \it などと同じように \tenccr と用いることで、
を用いることができます。
入力:
\font\tenccr=ccr10
This is Computer Modern Roman 10pt.\par
{\tenccr This is Concrete Roman 10pt.}
出力:
また、LaTeX 流には \newfont 命令があり、この例では
\newfont{\tenccr}{ccr10}と指定することになります。どちらを使うかは好みでいいでしょう。
文法は以下の通りです。
font-define-sequence:
\font\control-sequence=font-definition
\newfont{\control-sequence}{font-definition}
font-definition:
tfm-name font-modify-postfix
font-modify-postfix:
at size
scaled scale-factor
scaled \magstephalf
scaled \magstepmag
font-modify-postfix で、at size を用いた場合、フォントの tfm に書かれたサイズと比較し、適当な倍率で拡大縮小が行われます。size には TeX で有効な長さを指定します(例:30pt, 5mm, 4zw, 13Q[PTeX])。
scaled scale-factor では、scalefactor/1000 倍に拡大されます。例えば、scaled 1200 では 1.2 倍に、 scaled 840 では 0.85 倍に拡大されます。
また、\magstepmag では、1.2mag 倍に、\magstephalf では √1.2 倍に拡大されます。これは、1.2 倍の系列がフォントの組み合わせとして 適しているため、このような指定を受け入れるようになっています。実際、TeX の 14pt (\Large) は 14.4pt でデザインされているのです。
次の例は有効な宣言です。
\font\tenccr=ccr10 % Concrete Roman 10pt
\font\twtyccr=ccr10 scaled \magstep4
% Concrete Roman 10pt の 2.0736 倍
\font\bigtsg=tsglogo at 160pt
% TSG logo 10pt を 160 pt に 16 倍
\font\tenccrb=ccr8 at 10pt
% 8pt を 10 pt に 1.25 倍
\font\tenccrc=ccr9 at 10pt
% 9pt を 10 pt に 1.111 倍
\newfont{\egtccsc}{cccsc10 scaled 800}%
% Concrete SmallCaps 10pt の 0.8 倍
TeX では改行は段落の指示を除いては空白とみなされるので、 文章中に指示をおいた
Suddenly, you notice a cave spider
\font\tenccr=ccr10
at the top of ...
などという指定はエラーとなることに注意しなければなりません。こういった
語の解釈が問題になる場合は、指定の末尾に \relax を付けるか、
明示的な中括弧を用いる LaTeX 形式の指定を用いるのが良いでしょう。
Suddenly, you notice a cave spider
\font\tenccr=ccr10\relax % at との結合を防ぐ
at the top of ...
また、\font は中括弧によって宣言される局所効力を持つので、 文書全体に効力を及ぼすにはプリアンプルかスタイルファイルでの指定が 必要です。
TeX は \font 命令を見つけると TFM ファイルを システム所定のディレクトリ群か環境変数 TEXFONTS でしめされる ディレクトリから検索します。適切な TFM ファイルを 置いておく必要があります。また、実際に追加したフォントが 使用可能であるかは、出力ドライバ次第です。
\font\ninmgt=skgotmaa at 9pt
として追加されています。しかし、通常和文フォントは METAFONT では提供されない
ので、初期状態で JFM ファイルは存在しません。そのため、和文フォントを追
加する際には、JFMファイル min10.tfm をコピーするのが普通です。
アスキーの日本語TeX には和文の追加フォント名には一定のルールがあります。 それは「最初の2文字がメーカー、次の3文字が書体、その後は太さ、変倍、斜体を 表す」というものです。私は過去に写植で出力してもらったことがあるので、 写研の書体の名前をそのまま使っています。(sk=写研、got=石井ゴシック系、m=中、 a=正体、a=直立)詳しくは dviout や 日本語TeX の付属文書を参照して 下さい。もっとも自分で使う範囲ではこだわる必要性はないかもしれません。 別に正方形の書体の末尾が“aa”じゃなくてもTeX 自身は文句は言いません。
英文での注意事項はどれもそのままあてはまります。さらに、日本語フォントの 出力は英文以上にドライバに依存することに注意しなければなりません。
\font\tenrm=ccr10
\font\ninrm=ccr9
\font\egtrm=ccr8
\font\sevrm=ccr7
10pt から 7pt しか変更していませんが、これだけです。 TeX をインストールした人なら、macros か jmacros といった ディレクトリに jlfont2.tex なるファイルがあるはずです。こいつを 読むと、183行目当たりから、\font 命令の山があるのがわかるでしょう。 こいつの名前にあわせて、\font 命令で新たにフォントを割り当てれば 置換は完了です。ここでは \newfont は重複をエラーとして検出するので 使えません。
例として、\ccr 命令に を割り当てることにします。
こんどは jart10.sty を覗いてみると、
\def\tiny{\@setsize\tiny{6pt}\vpt\@vpt}なる記述があります。\@setsize は jlfonts2.tex 内で定義されている 4引数命令で、第1引数を現在のサイズとして保存、改行幅を第2引数に設定し、 第3、第4引数を呼び出します。では \vpt, @vpt はどうなっている でしょう? jlfonts2.tex をみてみます。
\def\vpt{TeXtfont\z@\fivrm
... (省略)
\def\pgt{\fam\gtfam\fivgt}TeXtfont\gtfam\fivgt%
\scriptfont\gtfam\fivgt\scriptscriptfont\gtfam\fivgt%
\@setstrut\rm\min}
\def\@vpt{}
なんか \pgt とかを再定義しています。
実は \pgt は \gt の実体で、ここでは、「現在の フォントファミリが \gtfam で、フォントは \fivgt である」 という風に再定義しています。フォントファミリーは数式モードを 扱う上ですごく重要ですが、いかんせん面倒ですし、なんと16種しか サポートされておらず、日本語 LaTeX が既に14種も使っているので 使用は困難です。普通、フォントを使う場面は数式の外が圧倒的に多いですので、 ファミリーの使用はあきらめることにします。そうすると、上の定義は こうなります。
\def\vpt{
...
\def\pgt{\fivgt}
\@setstrut\rm\min}
\def\@vpt{}
これなら簡単ですね。要するに「は \fivgt だぞ」という ことを再定義しているだけです。更に、@ の付いている方は 拡張用の空定義です。これを使わない手は有りません。 では早速 の定義を。
\makeatletter
\font\tenccr=ccr10
\font\ninccr=ccr9
\font\egtccr=ccr8
\font\sevccr=ccr7
\@addfontinfo\@xpt{\def\pccr{\tenccr}}%
\@addfontinfo\@ixpt{\def\pccr{\ninccr}}%
\@addfontinfo\@viiipt{\def\pccr{\egtccr}}%
\@addfontinfo\@viipt{\def\pccr{\sevccr}}%
\makeatother
\def\ccr{\protect\pccr}
他のサイズは自分で足してください。\@addfontinfo を 使うために、コントロールシーケンス \makeatletter で @ を一時的に使用可能に している点に注意してください。勿論このフォントしか追加しないのなら、 直接 \@xpt を定義しても構いません。
また、\ccr を直接定義しないのは、ここで定義した \pccr が fragleである(状況で定義が変わったりTeX の内部状態を変えたりする)のが 原因です。\protect を使わないと、目次や脚注に使う時に 障害となります。でもいちいち \protect を使わないといけないのは 不便ですから、こうやって2段階定義をして robust なコマンドにします。
日本語フォントの追加もまったく同様です。
やっぱり「技術は盗め」の格言通り、LaTeX の解決法をみてみましょう。
\def\rm{\protect\prm}\def\sl{\protect\psl}%
\def\bf{\protect\pbf\protect\pgt}
なんだ、単純じゃないですか (^_^)。万事解決。
\def\mgt{\protect\pmgt}%
\def\tt{\protect\ptt\protect\pmgt}% 組み合わせフォント
\pmgt は の \@addfontinfo での名前だとすると だとするとこんな感じでOKです。
また、こういったフォントの「生の名前」が出てくるのは jlfonts2.sty だけで、その他の latex.tex などは \tt などの定義をそのまま 使っています。ですから、こうやって組み合わせてやれば、\verb の中 や verbatim 環境の中でも が使われます。
追い出される方がいっぱい記事を書かれている昨年の188号が気に入ってる 自分としては、追い出される方の原稿を載せられなかったのが残念でなりません。 なんかぜんぜん追い出しコンパの部報じゃないような感じになってしまったし、 2号分の記事がのっている「はず」なのにえらく薄いし…。今回は かなり「不満のある」しあがりになってしまいましたね。この失点は オリパンフで取り戻すべし [宣言]。
昼間に Nishi さんに「そりゃー原稿が足りない時は編集長が書いて補うんだ」とか 言われてしまったので、本当に原稿2本書きました(^^;。一本は スキーの帰りに宣言した帰りのバスのルート、もう一本は何人かから 聞かれていた TeX のフォント追加方法です。それでも薄い部報になってしまった。
本当にちゃんとこの部報は出るのだろうか?(まだ言ってる。)(Aleph-NULL)
発行者 金子 済
編集者 大岩 寛
HTML化 木原 英夫
発行所 東京大学理論科学グループ
〒153 東京都目黒区駒場 3-8-1
東京大学教養学部内学生会館 305
TEL 03-5454-4343