役職 | '95 年度 | '96 年度 |
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部長 | NAO | わたる |
副部長 | しげ | 高野 |
会計 | Nishi | 村井 |
編集長 | ちょもらんま | おおいわ |
副編集長 | K_O_ | げる |
ライブラリアン | GANA | げる |
コンパ委員 | sigma Yu しげ |
かもしま ZERO きりもみ 窓明 |
学館連絡員 | Nishi | 高野 |
ICCC連絡委員 | hanawa | |
庶務 | Yu | はと 竹島 |
昨年はコンテストに一切出場しなかったかわりに、いろいろな雑誌社の記者が取材に305にやってきました。しかし、彼らの対処はすべて同じ編集者な編集長の安田君がしてくれました。
というわけで、昨年の部長の仕事はオリと駒場祭に限られました。サークルの長たる部長の職務として一般に言われているものは、サークルの運営の統括・指揮なのですけれど普段はそんなことをする必要はありませんでした。サークルTSGはコンピュータ好きな連中がわいわい集うところなのです。なにも部長が細部の動きまで指令する必要は全然ありません。みんな各自が好きなように遊んでいられれば良いのです。
部長の仕事は、みんながこんなふうに好きなように遊んでいられる環境を保持することなのです。具体的にはクラス・サークル代表者会議(CC代)を主とする数多くの会議に出席して書類を整理することです。書類の中には、間違いなく提出しないとTSGが滅んでしまうようなものもあり、なかなか神経を使いました。
オリや駒場祭の前後では、いろいろな準備の指揮をとります。人材の確保、準備の進行状況、機材の移動、部屋の環境このときは急にいそがしくなります。
でも基本的に部長の仕事は確認と指令のみです。いそがしくても体をつかった忙しがしさではないので、この点はコンパ委員や編集長よりもずっと楽な仕事です。
昨年度の部長は、TSGの部長であるのに、コンピュータに関する知識はかなり低いものでした。それでも部長を務めることはできました。それはなぜでしょうか?
「理論科学グループ」、太古の昔は本当に純粋自然科学サークルだったのですね。相対論分科会とか量子論分科会とかしていたようです。平安京エイリアンの頃
「理論科学グループがコンピュータなんかしていて良いのか!」
という意見があったなんて信じられませんね。
とにかく現在は理論科学グループはコンピュータサークルです。これからもそうでしょう。コンピュータの社会における役割は、これからさらに重要になってくることは言うまでもありません。もはや
「理論科学グループだからこそコンピュータを極めるのである!」
というべき時代でしょう。
近年、コンピュータの普及はめざましく、特に情報教育棟の開設により猫もしゃくしもX端末という状態になりました。情報棟ではネットワークプログラムがすぐ作れてしまうのです。そもそも数値計算のために生まれたコンピュータが、これからは人々の間のコミュニュケーションを促し、たくさんの幸せを運んでくれるでしょう。さらには、人々の力がネットで合わさって世界規模で事を動かすようになるでしょう。そんなプログラムを自分で作れてしまうのです。この環境は非常にありがたいものです。プログラムを作って一番うれしいことは、その利用者が喜んでくれることです。その喜びがすぐに返ってくるのが、情報棟の楽しいところです。
しかし情報棟にはやはり低俗なユーザーが増えてしまっています。駒場生全員にメールを送ろうとして150kbyteのheaderのメールを作りあげたおばかさんたちはまだ良いほうです。ワークステーションでゲームをする連中も嫌いですね。もったいないし邪魔ですし、みっともないし、東大生なのですから情けないです。いたずらメールを作る奴とかパスワードを盗もうとする奴がいるというのが悲しいです。
コンピュータの健全なるエキスパートであるTSGの会員はこの駒場の情報棟の安全な環境の保持のために、ユーザー達を指導していかなければなりません。
でも情報棟には低俗な人ばかりではありません。プログラムを作りたいという希望を持つ若いきらきらした芽もたくさんあるのです。彼らの希望の実現を助けることは、将来のコンピュータ社会に明るい光をあたえることにもなるのです。このような若い芽を育てていくこともこれからのTSGの役目と思います。
もはやコンピュータは一部のマニアのものではありません。TSGは一部のプロフェッショナルの集いの場であることには変わりありませんがそれだけでなく、広く一般の人々にコンピュータの意義を教え、その有効な利用を指導していくことも必要になってきているのです。
時代は明らかに変わったのです。
TSGの部長に本当に必要なことは、プログラム技術力でもなく、会議を欠席しない勤勉さでもなく、それは一般の人々によるコンピュータ社会の健全な発育を目指す精神と、その精神を伝える布教力なのです。
でもね。なにかに言っても、やっぱりTSGはサークルなんだから、みんなが楽しく過ごせればそれで十分なんだよね。別にみんなが一丸となってコンテストに出る必要もないのだよ。わいわいしながらお弁当を食べるという長閑かな環境でいられればそれでいいんだよね。
僕も前の部長から言われたけれど、楽しければいいんだ、ということを強く思うね。
というわけで、次の部長さんは頑張ってくださいね。
では。
理論科学グループ根津中央研究所所長 渡辺 尚貴
編集長の仕事は、仕事のあとが形になって残るのがいいですね。「ああ、オレはこんなによく働いたんだなー」みたいに実感が沸きます。
部報に関しては、179号でHRDさんが書いていた編集部への要望を実現させるのが、僕の目標でした。発行回数・ページ数・カラー化など、結構納得のいくものになったと思います。(注:カラー化に関しては、190号の赤帯があります。(^^;) 各号を振り返ってみましょう。
初めての部報で、最も苦労した部報でもあります。確か、締切りを守ってくれたのは4人しかいなくて、最後の原稿が入ったのなんか発行日当日の8時過ぎでした。もちろん発行前夜は一睡もする時間がなく、原稿集めの厳しさを感じました。(^^;
発行前日、原稿が少なくて死にかけているときに、Nishiが8ページもの原稿をもってきてくれました。部報と呼べるだけの厚みに出来たのは、彼のおかげです。あれは本当に天の助けでした。
慣れない作業なので苦労したという面もあります。「編集長になった、ワープロが必要だ」ってときにたまたま親父のFM−OASYSしかなかったというだけの理由でOASYSを使って編集したのですが、こいつがDOSのソフトと使い勝手が全く違うので、苦労しました。「いつかは他のものに乗り換えよう」と思っていたのですが、慣れるとそう悪くないので、結局最後までOASYSで通してしまいました。
186号と同じくらい苦しかった部報です。まだ原稿集めのなんたるかを知らなかったということでしょう。(^^; 発行2日前の時点で原稿がほとんどないなんて、後にも先にもこのときだけです。186号ではNishiに救われましたが、このときはNAOに救われました。自分でも、必死になって書きました。あのころは元気だったんですねえ。
名言・迷言集は、ずいぶん好評だったようです。かなりきわどいことをたくさん書いちゃいました。あじさん、うんぶさん辺りに殺されるのではと心配していたのですが、ちょっと苦情を言われたくらいで済んでよかったです。(^^;;
とにかく原稿をたくさん集めたいので、顔を見たこともない上の代の先輩方に頼みました。本当は原稿と言うよりは数行程度書いてもらって寄せ書きみたいにするつもりだったのですが、上の代の人達は律儀に原稿を書いて下さってので、とてもありがたかったです。それなのに、お名前の漢字を間違えた私は、なんてバカなんでしょう。(;_;) NAOにフォローしてもらったのですが、配ったあとにもう一人間違えていたことが判明してしまったのでした。(T_T)
NAOと小島さんの原稿が入っていますが、2人とも確実に締切りを守ってくれるので、ありがたかったです。TEAさんの「ごみ*.LZH」は、この号が最初でした。最後の8ページほどに何かあやしいのがありますが、恥ずかしいので捨てちゃってください。
編集後記を自分だけでなく原稿執筆者にも書いてもらうようにしたのは、この号が最初です。一人で箱に閉じ込められているのは寂しいもんね。
追い出しコンパ来た方が大量にもらっていったらしく、50部刷ったのにもらえない方が出てしました。前代未聞(空前絶後にはなりませんでしたが)の再発行をするハメになり、30部増刷しました。
今期最大の原稿量を誇る号です。縮小印刷しないと紙が足りなくなるという快挙を成し遂げました。最大の功労者はもちろん「恐怖の大量原稿送信」とか言って45KBの原稿を送ってきたNAOですが、あの字の小ささにも係わらず11ページ占領している Zephyr さんの原稿の凄さも忘れてはいけません(分量だけでなく、内容もキてましたね)。
苦労話は、ほとんど190号に書いてしまいました。あのときは書き忘れましたが、P7に載った「いぬ。BBS」の電話番号は物議を醸しました。SYSOPが原稿に電話番号を書いたのだから載せて構わないだろうと思ったのですが、印刷したあとで結構反対意見が出てしまいました。インクが潰れて電話番号がよく読めなかったので、心配することはなかったのですが。僕としてはいぬ。の存在を早めに1年生の目に触れるところに置こうと思って ったく☆ さんに原稿依頼したのですが、不特定多数の人に配るオリパンフ号よりも、新入生自己紹介号に載せた方がよかったかも知れません。
この号からプリンタがMJ−5000Cに変わりました。もうひとつ、ゲスプリに「写真モード」なるものがあるのを発見。普通に印刷するより格段にディテールが綺麗になる上、濃淡の表現までできることがわかったのです。(^^) 第1刷を持っている方は、P31の一番上を見てください。鉛筆と消しゴムのあとが見事に再現されています。
「きょーふの原稿依頼^^;」が乱れ飛ぶようになったのも、この頃です。
なんか知らないけど、やたらと分厚くなった号です。それまで部室の本棚で発見した最も厚い部報は130号(1987年発行)の76ページだったのですが、編集しているうちに74ページに達したので、部室に現存する部報の最高ページ数記録を塗り変えるのは今しかないと決心しました。(^^; NAOと小島さんに急遽追加の原稿依頼をして、自分でもくだらないことを書いて80ページの大台に載せました。まったく恐ろしい話です。
記録樹立の記念に表紙に赤帯を入れたのですが、これは結構大変でした。75枚にカラーで印刷するのは、予想以上に時間のかかる作業でした。おかげで部報の製本作業が遅れ、コンパ委員に迷惑をかけてしまいました。新歓コンパで人が集まってなければ、製本は間に合わなかったことでしょう。手伝ってくれたみなさん、どうもありがとうございました。
189号までの表紙はTOWNSシステムソフトウェアのイラスト集でごまかしていたのですが、オリパンフを作るときEINさんに「表紙もかっこよくね。」と言われてしまったので、この号は凝ってみました。大昔に書いた6809用手製アセンブラのソースを印刷して、カット・ペースト&コピー(注:鋏、糊、10円コピー)で仕上げました。「あやしいアセンブラ」と言う人はたくさんいたのですが、6809だと気づいてくれたのあじさんだけだったみたいです。あじさん曰く、「このアセンブラ、アドレッシングの表記がちょっと違うね。」う〜ん、流石。
編集スタイルもほぼ固まってきました。186号などとは比べるべくもないほど綺麗に仕上がっています。
取り込み写真を多用した号です。個人的にゲスプリを使ったときに、写真でもかなり綺麗に印刷ができることは確認済だったので、使いそうな映像を手当たり次第ビデオで撮影してあちこちに散りばめました。
表紙に使う写真を探すのは大変でした。小学生の頃に小笠原に行ったことがあるので、そのときのビデオテープから適当に選ぶつもりだったのですが、実際にテープを見てみると、表紙に耐えるようなシーンが全然ないのです。小さい頃の自分が映っているところは恥ずかしいし。何時間もあるテープをずーっと早送りしながら表紙の候補になるなシーンをディジタイズしていったのですが、ただでさえカメラワークの下手な映像を早送りしながら1時間以上見ていたので、目が回って気持ち悪くなり、合宿前から船酔いの気分でした。でも、苦労の甲斐あってか、選んだ画像は大島の雰囲気と結構合ってたみたいです。
他の原稿が少なかったので、NAO率がついに過半数を突破しました。182号(今の2年が自己紹介をした号)で、箇条書きで簡潔にキメていたころのNAOの面影は、もうどこにもありません。(^^;
夏合宿の原稿をあちこちに依頼していたら、合宿ネタだけで30ページを突破。合宿で取った写真をそのまま貼ったり、サイズが合わないものは情報棟のスキャナで取り込んだりして使いました。P8のリスの写真は、ゲスプリでここまでできるのかと思わせるほど綺麗に印刷できました。表紙のロゴは、お約束通り野田浜海岸の砂浜で作った砂の「TSG」を使いました。
合宿ネタもさることながら、Nishiの「超々爆速lh5生成法」とTAROさんの「Jerusalem Virus解析結果報告書」は圧巻でした。特にウィルスの原稿の分量はすさまじく、NAOのCの記事が無いにも関わらず74ページもの厚さになってしまいました。
この号を作るときに、とんでもないトラブルが発生しました。発行日前夜にプリンタのインクが切れて、印刷できなくなってしまったのです。仕方なく、写真や没印刷を切り貼りしたり、手書きで修正してごまかしました。インクがあれば、目次の「7」と「9」は、まともなフォントになっていたはずです。マーフィーの法則(だったか?)が頭をよぎる……
「最悪のことは、最悪のときに起きる。」
GANAの平安京エイリアンの原稿が面白いですね。表紙もGANAの原稿の絵をそのまま使わしてもらいました。ったく☆さんの原稿も入っています。NAOの原稿は相変わらず凄いです。
編集のスタイルは193号をそのまま踏襲しました。
一般向けということで、薄く・読みやすい部報を作りました。この試みは成功したと思っています。おおいわ君の四柱推命やNAOの理論科学シミュレーションの原稿は、短く決まっていて読んで気持ちがいいです。Makkenさんの原稿は、もらったときはなんだかわけがわからなかったのですが、ガンダムWのパクりだったわけですね。
表紙の十二支は、1年の松永さんが書いてくれました。
編集どころではありません。早くこの原稿を書き上げなければ……
やたらとスタートが遅かったです。9月には始めた方がいいでしょう。授業が始まるまで放っておくと、あとで身動きがとれなくなります。僕は10月後半に始めたのですが、かなりやばかったので、編集を副編集長の岡村君に任せて情報集めに徹しました。
メールを出せば大半の人はちゃんと名簿のデータをくれるのですが、情報棟に慣れていない僕はメールを出すだけでも結構苦労してしまいました。メールアドレスが無効の人も多く、何十人も電話攻撃する必要がありました。学部生はともかく、教官の方にまで電話するのは、気が重い仕事でした。
メールや印刷では、GANAに随分助けてもらいました。TeXのソースは、HRDさんの'93名簿のソースを流用しています。
そうそう、シリアルナンバーをまだ申告してない人は、僕まで知らせてください。
'96年度には、第200号という大きな節目があります(新歓号かな?)。おおいわ君がどんな部報を作るのか、楽しみです。
という新たなる仕事ができましたので、GEL はがんばってください。
きっと home page のデータは代々受け継がれ、ふくれあがり、相談員となる ことが必須になることでしょう。
ディスプレイは去年駒場祭のときにそれまでのディスプレイがお亡くなりになり、HRDさんのを急遽借りました。この借り物を使いつづけるのも良くない、という訳で購入したのですが、HRDさんのディスプレイはその後もずっと305に置いてあったような・・・。まあマルチスキャンなので(それまではマルチスキャンではなかった)良しとしましょう。でもこのディスプレイ、安いだけあって不便な点もありますね。上下に首を振れない、ってのがそうです。長時間使っているとこちらの首が痛くなります。
CD−ROMはNECドライブにしておいて正解でしたね。実は同じ値段で高機能のAIWAの倍速ドライブも検討していたのですが、将来を考えて台数の出ているNEC製にしたのです。こちらにはケーブルが付いていなかったのでその分高く付きましたが、AIWAドライブは最近その接続性に色々と問題が生じているようです。
またMOは10枚一気に購入したのですが、当時は128MのMOでも1枚1000円以上しました。MOの値段の下がり具合を見ると、これは失敗だったかもしれません。
まあ基本的には支出を抑制しました。大赤字状態のTSG会計を考えるともう1年くらい支出を抑制すべきかもしれません。(大赤字状態については新会計の人に聞きましょう)
なお、305にある扇風機・プレステは有志による基金によって購入された物です。
それから会計の仕事ですが、実に簡単ですね。基本的には仕事はこの2つです。
1に関してですが、TSGには3月(それも31日ごろ)に買い出し行くという伝統があるようです(私は29日に一人で買い出しに行きました。)。今度はそんなことの無いように早めに話し合って買う物を決めておきましょう。
あと2に関してですが、ただし書きが明確でない領収書、宛て名が無かったり、上様になっている領収書、あと生協・コンビニ等のレシートを学友会は領収書として認めてくれません。皆さん気を付けましょう。また会計簿の提出は毎年5月の連休明けごろにあります(確認しておくよーに)。提出が近づいたら会計担当に「かいけー、かいけー。」とか言って注意を喚起してあげましょう。そうでなくても会計簿は早めに整理しておいた方が無難です。提出期限寸前にウイルスの影響を受けてパニックに陥る事があります。(しつこい)
最後になりますが、金品の管理には十分気を付けましょう。もちろん使いすぎにも。
学館連絡会議の存在を忘れないよーに。掲示を見つけたら学館連絡委員に教えてあげましょう。
宴会の支度に追われつつの、あっと言う間の一年でした。
いきあたりばったり*1あり、アクシデント*2ありで、色々とご迷惑もお掛けしましたが、私自身は、とても楽しく困憊員^H^H^Hコンパ委員を務めさせて頂きました。
最後に、次代のコンパ委員の為に。
tecc.circle.tsg を読める方は読んでください!
では、1年間、おつきあい頂きどうも有難うございました。
95年度コンパ委員のしげです。やっと仕事が終わって一安心というところですが、今年は実質コンパ委員が2人だったのに(ひどすぎかも)楽をできたのは何と言っても「史上最強のコンパ委員」の異名を取ったsigmaさんのおかげでしょう。基本的に店の予約までは完全に彼女がやってくれました。僕も新歓コンパ一回だけ予約しましたが何故か(店の責任だとは思うが)予約したことになっていなくて大変な思いをしました。そのときは同じくらいの人数の集団を別の店に移してもらうことにより解決したのですが、その集団はTSGよりも高い料理を予約していたらしくて大変でした。
そこで新コンパ委員に一言。基本的に一回のコンパは一人のコンパ委員が予約からお金の支払いまでしきるか,少なくともどういう条件になっているかを予約した人から詳しく聞いておくこと。店にだまされることがよくあります(まじで)。他のコンパに関してはせいぜい最後にお金を徴収するくらいでした。その上,試験のため夏合宿にも参加できず本当にsigmaさんには頭が下がります。結局僕がやったことで一番貢献したと思えるのは,PlayStation基金なるものを作って305にPlayStationを導入したことでしょう(うんうん)。
また同時に僕は副部長でもあったわけだが,こちらの方は一回も仕事をしていないと言って過言でない。そのため僕が副部長であったことを知らない人もたくさんいたと思う。これは非常にいい傾向である。どうしてかというと副部長は部長をサポートするための役職だからである。つまり部長がしっかりと仕事をしてさえいれば副部長は仕事がないのである。いわば部長が使えない奴だったときの保険だね。ご存じのように今年の部長はなおという非常に働き者だったので僕の出る幕はなかったのである。
あーよかった。
ま、しかしこんなにしっかりした人が部長になるというのも珍しいので(^^;「何月何日に会議があるよ」と部長に教えてあげるくらいはしないといけないかも。
いやぁ、いつのまにか1年たってしまいましたねぇ。就任当時はどうなることかと思いましたがどうにかなってしまいました。これも全て皆さんのおかげです。御協力くださった方々、どうもありがとうございました。
さて、庶務の仕事と言うのは非常に大変です。何しろ無法地帯ともいうべき305の掃除がその主な仕事なのですから。どのくらい大変なのかと言うと一人ではとても出来ないので思わず部長に仕事を頼んでしまうほどです(笑)
今年は一人では大変だろうと言う後輩思いの私の意見により、庶務は二人に拡張されました。二人いれば他の人の応援を頼むことなく仕事が出来るだろうと思いましたので。きっと今年はごみ箱がいっぱいになって一週間以上放置されるということもなくなるでしょう。
最後に、一言。空き缶はくずかごに(特に某氏)
最後まで仕事をしないコンパ委員でした。
おしまい。
上のじゃだめ?
じゃあ、しょうがない。
じつはコンパ委員だった渡邉です。私の顔を知っている上の人はいったい何人いるのだろう?
TSGではコンパに出席しないと上の人と顔を会わせる機会がないようなので、私の事を知っている人はほとんどいないでしょう。私も上の人の顔と名前はあんまり一致しません(ひどいかも)
就任の挨拶で私のモットーについて書きました。結局わたしはモットーを貫いたわけですが、そのせいで他のコンパ委員二人に多大なる迷惑をおかけしました。この場を借りて一応おわびしておきます。まぁ、私が働いても事態はそう変わらなかったと思いますが。
コンパ委員の心得うんぬんについては私は何も語ることはできないので他の二人に聞いてください。結局わたしはいったい何だったんでしょう(爆)
新部長として、TSGの今後の活動について考えていることを述べさせて下さい。私はプログラマーを育成する環境を整備することが必要だと思っています。TSGに入る前からプログラムを作れる人は年々少なくなると予想しているからです。なぜなら世の中にはWindowsが蔓延り、ソフト開発に必要な資料やコンパイラはとても高価で、プログラマーの負担は増大しています。その一方で見栄えの良いグラフィックを使ったゲーム機が普及しており、それらと比較しても満足できるソフトを素人が作ることはとても難しくなっています。つまり世間にパソコンはますます浸透していくでしょうが、プログラミングのできる人が増えるわけではなく、むしろ逆に減ってしまうのではないかというのが私の危惧なのです。だからTSG内に全くの初心者でもCなりマシン語なりを勉強して、ちゃんと動くプログラムを作れるようになれる環境を整備したいのです。さもないと私たちのサークルは今年や来年は大丈夫でも、将来的には今まで受け継いできたような活動ができなくなるかもしれません。今年についてさえ、駒場祭の四柱推命のプログラム部分はaleph-0君一人に依存してしまい、占いの印刷部分を凝るところまで手が回せず、せっかく用意した十二支の絵が無駄になる有り様でした。
それで具体的な対策ですが、分科会の活動をもっと積極的にするくらいしか、今の所は情けないことに思いつきません。C言語の勉強会については、他の自然科学系サークルと連携したインターサークルゼミをやろうという提案が前部長からありまして、これはさっそく開始になりました。プログラミングは「習うより慣れろ」なので、次の駒場祭ではゲームを共同制作して展示するようにするという案もあります。しかし開発効率はプログラマの人数の2乗に反比例すると言う説もあるくらいですし、なかなか難しそうです。
長々と偉そうな感じで書いてしまいました。私はただでさえ未熟者であるのに大ボケな性格まで持っていますので、迷惑をかけてしまうこともあるかも知れません。皆さんの協力と助力が必要ですので、今後ともよろしくお願いします。
最後に私の開発環境などを紹介します。所有マシンはPC-9821で、言語はCとマシン語、ほんの少しだけC++を使います。マシン語についてはプロテクトモードだけで、リアルモードはよく知らないという変なやつです。GNUのDOSエクステンダGO32上で動作するソフトをdjgppで作っています。djgppは基本的にAT互換機用ですので、98で使うには色々と苦労がありますが32ビット環境は得るものが大きいです。互換機用のグラフィックライブラリを98に移植して、ベクターデザインのPACKをもらえる身分になろうと言う計画(^^; を副部長と現在進めているところです。
とりあえず、原稿が揃えば月1回の発行を目標に頑張る所存です。
ちょもらさんの時は、毎号70ページを突破すると言うなかなかすごい状態になっていましたが、今年がどうなるかは原稿の集まり方次第です。
なお今回は、部報の編集は LaTeX を使う予定です。TeX は理科系の人間には一番使いでのあるソフトでしょう。皆さん理科系の教養として TeX を覚えましょう。
あと、TSG を TSG as Tennis, Ski & Game でなく TSG as Theoretical Science Groupとすべく、正式な分科会を作りたいと思ってます。とりあえず C 言語演習分科会、Textfile 分科会でもやりたいと思ってます。あと誌上 TeX 分科会なんてのもやりたいけど原稿を書く暇があるかなぁ。
原稿を募集しています。投稿の形式は次の通りです。
\documentstyle[b5j,ascmac]{jarticle}
)
なお、原稿依頼がありました際は、ぜひ進んで御執筆くださるようお願い申し上げます(^_^)。
今年は、TSG内の遊び人をまとめて4人コンパ委員にしたようで、なんか実務能力に欠けているような気もしますが、温かく見守ってやってください。
しばらくは、「コンパ委員マニュアル」なるものに頼ることになるでしょう。これほどまとまったコンパ用マニュアルも珍しいのではないでしょうか?
前任者の方々に感謝!!
関西圏の人間のため、あまりコンパ会場に詳しくないのでその手の情報に強い方は、ぜひ教えてください。
それでは、「テニスとスキーの、自然を冒涜するサークル」のコンパ係として一年間よろしくお願いします。
………なお、私は「まんがくらぶ」の部長さんだったりもして、駒祭前後は忙しくなりそうなんでそこは他の3人の健闘を祈っています。(^^;)ヒドイ
パソコンを触ったのは、今年4月が初めてです。というわけで、パソコンについては、よくわかりません。
一応、多少はC言語を使えます。(まだ勉強中)でも、パソコンは現在、ゲーム機に近い状態です。
その他、ファミコンとスーファミがあります。昔は、スクウェアのFFシリーズやサガをやっていました。最近は、マザー2をやっています。(まだクリアしていません)
とりあえず5行を越えたので自己紹介を終わりにします。
があったのですが、1はほとんど手を付けてません。^^; 305のパソコンはおおいわ君に牛耳られてますし...
今年はこれに加えて、
をやっていきたいとおもいます。余裕があれば古い部報もやるかも知れません。Javaもやってみたいですねぇ。
副編集長の方ですが、今年の部報は全部 TeX でつくるらしいので、編集の手伝いはいらないでしょう。おもに印刷・製本の手伝いをすることになりそうです。
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